Amazon新機能:プライムラジオを考える。
今回配信する予定のなかった記事です。
Amazonがプライム会員向けに新サービスを開始しました。その名は『プライムラジオ』。サービス詳細はページ下のリンクに書いてあるので、そちらを見ていただければ分かるのですが、Amazonの既存サービス、Prime Musicが配信する100万曲以上の中から、利用者の好みに合わせた楽曲をエンドレスかつ、ランダムに再生するラジオステーション機能とその聞く楽曲を厳選化できる機能もついている。
このサービスを聞いたときにまず、Youtubeの『「次の動画の再生」に知らない間に飛ばされて、新しい楽曲、アーティストを発見する』ことを思い出しました。
あの『次の動画の再生』自体を検索すると自動再生のON/OFFについての記事、否定的な記事が多いですが、私自身はたいへん好きなシステムです。個人的には音楽の知見拡大や再生回数が伸びてきている動画に移動されることによるアーティストの発掘があり、それ自体が楽しいのです。
実際にその機能で《清竜人 さめざめ DAOKO Charisma.com 水曜日のカンパネラ etc…》を知ることができ、今では作業中はエンドレスネットサーフィンですね(笑)
そんな話はさておき、今回の一番のカギなるのは、自動でユーザーの趣味に合いやすい楽曲が流れるようになる点でしょうか。一見新しい発見を推奨しているように聞こえますが、ラジオを聴き続けるとユーザーの趣向という型枠が確立されて、かなり限定されたアーティスト・楽曲に絞られていくのではと感じました。
ソーシャリティのようでソーシャルじゃない自分好みのラジオ(?)といったところでしょうか?
(公式画像ではありません。あくまでイメージです(笑))
18歳で製作した Utopia/Dystopia → 20歳が今思う Dystopia
この作品は今のトップ画にもなっていますが、当時私が18歳の時に作成したコンペディション(公募による建築設計の競技会のことです)作品[解像度83px]です。上の作品少し見にくいので解像度を上げたプレゼン[解像度133px]を下に貼り付けておきます。
当時18歳の私は東日本大震災時に起きた報道の印象が拭えませんでした。東日本大震災の時、学校の入学者説明会の時で、震災の緊急アラートが会場中鳴り響いたことは鮮明に覚えています。少なからずその東日本大震災の影響を受けたのがこの作品です。
(ちなみに審査員の方がおっしゃていたが、震災関連の作品は前年度に比べて激減したらしいです)
内容はプレゼンを見てほしいのですが、伝えたかった内容としては阪神淡路大震災や東日本大震災で死因としてあった家具の倒壊による、圧死等の危険性を表現したかったのです。なので文中では「家具の倒壊」を二次災害・三次災害として表現し、我々が引き起す人的災害であることを強調しました。
そこでプレゼンには、災害のリスクが建造物には無いように設定し(津波でも沈まない)、我々の家具の高位置化・私利的増加を批判する作品を作りました。(一種のminimalistの肯定)
建築の作品としては全くと言って意味がない作品ですけどね(笑)
なぜなら、これは何か新しい解決案を提案するわけでも、人間にプラスの要素を与えているわけでもないですからね。ましてや、住居が『沈む』という死に直結する『Dystopia』(ユートピアの反対の世界)を提案するのは建築の理念に反するものです。
しかし、もう少し読み込むと住居の規則に従えば、災害から100%身を守れる『Utopia』でもあることが分かります。ある意味二面性を持っていますね。
しかし、この作品以来建築の世界では受けないなということが分かり、Dystopiaを表現するのは止めました。
今回改めて20歳の自分がプレゼンを見て、 Utopia/Dystopia の中の Dystopia がだいぶ先行して印象を受ける、と思いました。それほど Dystopia の伝える強さが巨大であることに気が付きました。
内容としては Utopia/Dystopia の二面性があると思っていましたが、実際のところ人間の時間経過による災害意識の低下により、結局『沈む』気がします。つまりどう転んでも『Dystopia』ということです(笑)
話は変わりますが作品の性質上、ストーリー形式にする必要はなかったと当時は思いました。しかし、ストーリー形式は見る者を当事者にし、災害や生活に対して再考する機会を与えるための適した手段であることが分かります。
この作品で再考した結果、『問題をデザインする』『Dystopia の表現の可能性』に気づくことが出来ました。(一応この話はこの卒業設計にもつながっていきます)
何かタメになるプレゼンではないですが、何か感じ取っていただければ幸いです。
卒業設計のおはなし③
学校が始まり長期休暇→新学期になると生活スタイルが変わり、休み中やっていたことも中々できませんね…。いけないいけない。
さて今回は②の続きで、さらに卒業設計の案を考察していきます。
前回話した、地域別にその地域特徴が反映されるようなスケルトン(骨組)を建築家が建て、個人のニーズに応えながら地域属性を反映させた容器が完成する。それにより現代のアパートやマンションの設計プロセスが再考されるのではないか?と考えました。
では実際にスケルトンを各地域に設計・施工するとなるとどういった変異が表れるのでしょうか?
(図1 都市部及び郊外におけるSPBに対応した場合の地域別特徴)
このように、都市部・郊外区域それぞれ建設すると以上の変異が表れると考えられます。以上の差異だけでも設計上、反映のされ方に顕著に違いが表れると思います。
話は変わりまして、そのスケルトンにはめ込む住居(SPB)の話をします。前回の話で『その後の日本は……』といった『what if ?』を書きました。その理想を実際にするとしたとき、どういう形で販売及びSNSに拡散されていくかを考えた詳細の図です。
(図2 SPBのAmazon販売形態の理想像)
(図3 カスタマSPBとSNSの拡散性)
(図4 PSPBの販売形態)
少しずつ現実味を帯びてきたでしょか?おそらく近い将来的に実現するであろうことなのだと、私自身考察・調査しながらスマートフォンの普及の実態を見て、身に染みて思います。
卒業設計シリーズの次回はこの設計の次段階をお伝えたいしたいと思います。
この段階でのご意見もお待ちしております。
ポモドーロテクニック様、お世話になっております。
皆さん突然ですが、仕事や勉強、作業中の集中力は続いているでしょうか?
集中力が長続きせず、テレビやスマートフォン、読書etcでちょっと休憩……。
あ…1時間も経ってる。 そしてやりたいことがやれずに結局1日経っちゃう。こういう経験は私以外にもよくあると思います(あるよね?)。なんとかこういう無駄な1日をなくしたい!
そこでポモドーロテクニック!!
なんと25分作業して5分休憩するだけ。
詳細なルールは
①タイマーを25分に設定する(ちなみに個人差はありますが、私は25分ピッタリに作業を止めます)
②タイマーが鳴るまで集中する
③5分程度休憩する
➃このサイクルを2~4回繰り返した後長めに休憩する(私は20~25分)
これだけです。重要なのはポモドーロの最中に急用が入っても極力先延ばすこと、ダメならポモドーロタイマーをリセットしてください。25分の間は集中するのは絶対です。
脳科学的に見ても25分という区切りは良いみたいです。人間の集中力の最大パフォーマンスの時間が15~20分なのですが、残り5分で終わるという認知が集中力を維持して、合計して25分、合理的な仕組みのようです。
用は生産的行為を最大パフォーマンスの時間帯で継続して行うので、作業効率は飛躍的に上がると思われます。ちなみにクリエイター関係の方が多く利用しているみたいです。
アプリが無料でインストールできるので是非やってみてはどうでしょうか??
詳しくは他のブログを見てね。
(合わない人もいるだろうから合わなかったら早めに止めてね!)
生茶、完全リニューアル。(3/24更新)
建築全く関係ないですが、緊急記事として今回は生茶(KIRIN)についての記事です。
私自身お茶・紅茶・コーヒーの類が好きで、最近のペットボトルのお茶は本当に美味しい。
お茶の香と味が口の中で広がる程度がめざましく進化しています。
しかし、待ってました生茶さん。ホームページと紹介動画(提供ですがHPには直接リンクは貼られてませんでした)を見ていても、だいぶ期待が持てますね!!(ニッコリ)
卒業設計のおはなし②
久しぶりに卒業設計のお話です。
さて「Amazonで家を売る」と言いましたが、お題をこれにした理由と原理をもう少し掘り下げたいと思います。
私は建築家と世間の意識の乖離が一向に直らないことに違和感を覚えています。
どういうことかというと、現在多くの公共的建築が日本各地にあり、唯一無二の建築物により地域の社会的活性化・結果的に観光地になることで経済的活性化する可能性を秘めた、ある意味強大な力を持っています。
それにより建築家というプロフェッショナルな方に依頼して(近年は自発的に建築する巨匠も多いですが…)巨大建築を建てています。しかし、住宅ではどうでしょう?住宅は一般的にマイホームが欲しいとなると、コスト・住み易さ・短期工期が重視され、ハウスメーカーが選択されることが多いです。
建築家というツールはそこまで魅力が無いように世間の人たちには映っているのでしょうか?最適解とまでは言えませんが、住む人の個性、生活パターンまで組み込んで建築家は設計し、住み易さを追求したプロフェッショナルです。
しかし、コスト面からみても手が届かない存在と認定されたら、もうお手上げです。近い将来、マイホームは低中所得層から建築家という選択肢が消えてしまう様な気がします。実際小規模のカスタマイズ(DIY含む)で気が済み、自分の理想の住宅に近づけることが出来るようになったため、建築家の必要性が大衆から失われているのもあるかもしれません。
しかし、50年後を見据えた建築業界と不動産の価値観が変わるシ新しいシステムをこの社会に加えたらどうなるか。まるでスマートフォンのような住宅。
[第五世代 ハードウェア+エレクトロニクス+ソフトウェア+インターネット+サービス¹]
建築家がデザイン又は一般の方が規定のなかで部屋の間取り・建築設備をカスタムできる自由度の高い1DKのボックス型住宅をAmazonというEC市場が『レビュー+中古』で売ります。
買った住宅は中銀カプセルタワーのような部屋ごと置換できるスケルトン(メタボリズム建築)にはめ込みます。
スケルトン自体はAmazon又は国(?)が管理し、建築家が地域に根付くを意識したプランの設計をします。
その後の日本は……
・引っ越しの時はその住宅をそのまま持っていき、その住宅は別地域のスケルトンにはめ込むだけ。
・普通の一軒家に住むことになったら中古としてAmazonに売り出す。
・一般の方がカスタムした住宅はブログに載せてトレンドになるかもしれない…。
・若手建築家がデザインしたボックス型住宅は一般にみられ、建築家の可能性の拡大にもなるかも。
どうでしょうか?建築家と世間の意識の乖離は直らないかもしれませんが、新しい価値観が生まれ、現在のような建築の捉え方では少なくとも変わることでしょう。
まだざっくりですが、この案の原理ですが修正し、高める価値がある。そう思ってます。(職種のジャンル問わず具体的な質問等も受け付けております!)
1:田川欣哉 渡邊康太郎 緒方壽人 (2014) 現代建築家コンセプト・シ
リーズ 18 takram design engineering | デザイン・イノベーションの
振り子 10-13.
卒業設計展の認知度が低い…
こんにちは。また更新が遅くなったYです。
今回は建築学科(建築学科以外も出す場合があります)の集大成でもある卒業設計展についてお話します。
テーマを決められ、それに応えるような作品を提案するコンテスト・コンペディションと違い、テーマを自分で設定し、一年間調査・アイデア形成・設計したものを持ち寄る展覧会・コンテストです。建築学生の一年分のエネルギー量が詰め込まれた会場の雰囲気は他では味わえないようなものですね。低学年の建築学生がこぞって見に行くのもうなづけます。しかし一般の方はどうでしょう?
実際、一般の方が行きにくい場所であることは間違いありません。
正直とても行きにくいです。ゴリゴリの建築模型があり、公開審査の最中では一般の方では
(何言ってるかさっぱりわからん…。)
となるのは間違いないでしょう。私も最近になって審査員の言っている発言、プレゼンボード(建築学科では必須となる作品の魅力を伝える最重要ツール)に書いてあるカタカナ用語が少しばかり分かるようになりました。総合的学問ともいわれるのも納得です。しかし、建築っぽくないなって思う作品も数少ないですがあります。社会貢献的な作品としてみると専門用語が分からなくても、一般の方でも楽しめるのではないでしょうか?
ということでNAF(中部卒業設計展)に行ってきました…と言いたかったのですが、私のミスで行けませんでした。すみません。代わりに近くで開催していたトヨタホームビル内で開かれているキルコス国際コンペディションの展覧会に行ってきました。
良かったです。このコンペのテーマが「内/外」だけでその他指定がないのです。コンペではかなり異例なことで制限が逆にないと苦しいものがあります。しかし、展示されている優秀作品はそれだけでここまで思考を巡らせ、昇華させられるのかと、圧倒されるものばかりです。ただただ驚くばかりです。
両方とも展示期間が過ぎてしまったため見ることはできませんが前年度の作品集等も出版されています。
話がそれましたが、是非全国にまだ卒業設計展が催しているので一般の方も行かれてみてはどうでしょうか?
ちなみにNAFはHPで今年の一部作品が公開されています。