芋焼酎(建築学生)

以前は卒業制作に至るまでのストーリー?的な感じでしたが、今回二度目の卒業制作ということで、建築に関係のないことを色々やっているうちに自分が何なのかわからなくなってきた苦悩の日記に成り果てました【不定期21時更新】

読書レポート メディアとしてのコンクリート つづき

 第四章 コンクリート地政学

 地政学という言葉は建築をやっている中で、あまりなじみのない単語である。しかし英訳すると「Geopolitics」(Geography(地理) + Politics(政治))となり、おおよその意味が想像できる。ざっくり言えば地政学移民問題や海外の内戦情勢といった政治情勢を地理的条件から読み解く学問である。

 第三章でコンクリートがイタリヤやドイツによって政治的利用された話をしたが、第四章ではどの国で買っても同一素材であるセメントと違ってコンクリートに含まれる『労働、鋼鉄、骨材』1)はそれぞれ生まれる場所が違う、つまりコンクリートは地域的特性が孕んでいるという仮説から話が始まる。コンクリートは多くの意味を含んで「普遍的な」素材として認識されがちであるが、コンクリートには国籍があるのか、それともグローバルな材料か、それともどちらでもないのか、という問いを通じて、地政学におけるコンクリートを考える章である。

 

 この章には【国のコンクリート】という節に【日本】という項があり、項の最後には(結論めいているが)『コンクリートを「日本的」として主張することは、その実際の特質が何であれ、場所の些細な変化から生み出される差異の表れとして見られるべきだろう』2)と書かれている。とはいえどのような地理的条件が「日本的」コンクリートたらしめるのか。本書の【国のコンクリート】には【日本】と【ブラジル】の2つの項がある。その2国を取り上げている理由として『各国がコンクリート構造で建物の安全性を保障する独自の基準を設けた』3)ため、『異なる規制制度、異なる建設文化、地域労働市場の相違など』4)によって図らずともコンクリートの扱い方に独自性が表れ、そのなかでも国の活用として肯定的な評価を受けた国であったからである。

 

 1900年代初頭に日本へ到来したコンクリート西洋文化に抵抗があったため、日本人に馴染むことはなかったが、次第に耐震性能をもった建築素材として注目され、扱われ始めた。日本は言わずと知れた地震大国であるが、当時木造過密地区や住宅不足などの問題があり、自然災害に脆弱な側面が依然として存在した。この災害に対するイメージが日本のコンクリート建築を『重厚さと堅牢さ』5)へ導いたのは間違いないだろう。また補足として著者は日本人のコンクリート利用法における過剰性への価値観から重厚さ的なコンクリート建築へ導いたのでは指摘していた。日本の建築家は量塊的で余剰を含んだ重厚な寺院建築、木造伝統建築に慣れ親しんでいたため、ヨーロッパの構造合理主義に示されるような、形における強さを目指さなかったとしている。この補足には私自身洋館建築の模倣が当時多く行われた背景もあるため懐疑的だが、丹下健三香川県庁舎(1958)を見るとなんとなくその側面も理解できてしまう。

 香川県庁舎は構造や梁のディテールまで木材であるかのように見せている。また柱は『1階の柱はまたも型枠の木目がついたコンクリートで、足元が切り取られ、柱が木材で覆われている』6)ように見せ、表面さえも木のシンボルを持っている。日本の近代コンクリート建築は災害との付き合うため、またコンクリートを伝統木造建築のように贅沢に用いるなど日本独自の価値観から重厚さと堅牢さをもった形態へ導かれた、これは日本的コンクリートというには早期な気がするが、その傾向はあるといえる。

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第七章 記憶か忘却か

 コンクリートは記念物にとって選択されやすい材料であったが、しばしば『記憶喪失的な素材』7)としてみなされる節があった。またミニマリストなどの『記憶の表象に敵対する芸術家には避けられ、記憶を表象したい者には選ばれ』8)た素材でもあった。ピーター・アイゼンマン(1932-)のホロコースト記念碑(1997-2005)をイメージしてくれると理解しやすく、その現状は石碑に腰かけて談笑する若者など、人々がじつに思い思いに過ごす場となっている9)である。このように記念碑は作ったものの、その形から当時の記憶を想起させることや記憶を忘れていくことにどう対抗するか、といった問題に直面する。コンクリートは素材の特性から問題の悪化を手助けしてしまう素材なのかもしれない。この章で紹介されている4つの記念碑はコンクリートが『同時に記憶と忘却の材料でありうる』10)ことを示す内容となっている。一見矛盾を示すようだが、これこそが一番の特徴だと私は確信している。

 

 作者はその1つとしてパリの移送ユダヤ人犠牲者記念碑(1953-62)が挙げられている。設計者のジョルジュ=アンリ・パンギュソン(1894-1978)はそもそも記念碑に記憶を託す試みに懐疑的だったのもあり、移送ユダヤ人犠牲者記念碑には具体的なシンボル性もなければ、文字も示すものもない11)。(画像をみながら読んでほしいが)そこには地下に彫り込まれた4メートルのコンクリート壁で囲まれた「ヴォイド」があり、そのコンクリートには風化を助長させる目地や継ぎ目も存在しない12)ため、その場で読み取れる情報や時間性があまりにも少ない。パンギュソンは『一種の感覚遮断を生み出しており、観者が空と現前とに集中するように強いている。取り囲むコンクリートはいかなる種類であれ、歴史を振り返るばかりか時間の経過を思い返すことも促さない13)』ものとして記念碑を設計した、と著者は持論を展開している。この記念碑におけるコンクリートは風化を防ぎ永続性を獲得しながら、鑑賞者はそこから記憶、時間さえも獲得できない。パンギュソンはこの記念碑を設計するにあたって、記念碑における記憶と忘却の儚さや瞬間性を受け入れ、記念碑に赴くということはどういうことかを問うた上でコンクリートを採用したといえる。

de.wikipedia.org ホロコースト記念碑(1997-2005)

03_12 Memorial des Martyrs de la Deportation

 移送ユダヤ人犠牲者記念碑(1953-62)

 

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 ここまでの文章からコンクリートはもうつまらない素材と感じることは難しいだろう。前回のブログの最初にコンクリートは雄弁で且つ沈黙を貫く素材と書いたが正確には違う。第7章の最後には記念物が逆にコンクリートに与えたものがあると示した。『コンクリートを記念物に使用することで、コンクリートは意味に影響されないわけではなく、図像的意味を持つという事実が露わになった。加えて(…)コンクリートの意味はまったく流動的で気まぐれであり、歴史的状況によってつくられるという事実も露わになった』14)

 コンクリートは常に沈黙を貫く素材だが、人間が持たせたがるもしくは持たせてしまった意味がコンクリートを通じて意味、もしくは図像となって表れる。それは素材が語っているように見えるが、人間が素材(メディア)を使って間接的に語っているのである。また記憶と忘却の関係のように、人間が語りたい「是」の内容に対して「非」が現れて、思い通りにならないひねくれた素材である。コンクリートは両義的かつ2項対立で考えるとうまくいかない。私には本当は「近代/非近代」、「歴史的/非歴史的」「自国的/国際的」ではなく、人間の都合でかつ、偶発的に意味性がコンクリートの中で入れ替わるメディアとして付き合うほうが正しいと思う。まさに『コンクリートと文化の関係は依然として不安定なまま』15)の状態を受けいれることがよいのではないだろう。

 

1)本書, p130  2)本書, p179  3)本書, p152

4)本書, p152  5)本書, p173  6)本書, p173

7)本書, p252  8)本書, p252  

9)小田原のどか,戸田穣 彫刻と建築の問題——記念性をめぐって(アメリカ・ドイツをめぐる記念碑の議論), 10+1 websitehttp://10plus1.jp/monthly/2018/08/issue-01-4.php

10)本書, p281  11)本書, p271  12)本書, p272

13)本書, p272  14)本書, p282  15)本書, p376

 

 

 

 この記事では全10章の中で特に自分が関心を持ったものを要約し、書きながらコンクリートへの理解を深めていけた。本書を読むだけでも知らない単語が多く、ggっても英語圏の記事しか出てこないアカデミックな内容ばかりで刺激的な物であった。写真の章も面白かったが、説明の文章を書く体力がもう残ってないのでまたの機会にしたい。

 知の探検をするにあたって必要な一冊であることは違いない。