芋焼酎(建築学生)

以前は卒業制作に至るまでのストーリー?的な感じでしたが、今回二度目の卒業制作ということで、建築に関係のないことを色々やっているうちに自分が何なのかわからなくなってきた苦悩の日記に成り果てました【不定期21時更新】

読書レポート メディアとしてのコンクリート つづき

 第四章 コンクリート地政学

 地政学という言葉は建築をやっている中で、あまりなじみのない単語である。しかし英訳すると「Geopolitics」(Geography(地理) + Politics(政治))となり、おおよその意味が想像できる。ざっくり言えば地政学移民問題や海外の内戦情勢といった政治情勢を地理的条件から読み解く学問である。

 第三章でコンクリートがイタリヤやドイツによって政治的利用された話をしたが、第四章ではどの国で買っても同一素材であるセメントと違ってコンクリートに含まれる『労働、鋼鉄、骨材』1)はそれぞれ生まれる場所が違う、つまりコンクリートは地域的特性が孕んでいるという仮説から話が始まる。コンクリートは多くの意味を含んで「普遍的な」素材として認識されがちであるが、コンクリートには国籍があるのか、それともグローバルな材料か、それともどちらでもないのか、という問いを通じて、地政学におけるコンクリートを考える章である。

 

 この章には【国のコンクリート】という節に【日本】という項があり、項の最後には(結論めいているが)『コンクリートを「日本的」として主張することは、その実際の特質が何であれ、場所の些細な変化から生み出される差異の表れとして見られるべきだろう』2)と書かれている。とはいえどのような地理的条件が「日本的」コンクリートたらしめるのか。本書の【国のコンクリート】には【日本】と【ブラジル】の2つの項がある。その2国を取り上げている理由として『各国がコンクリート構造で建物の安全性を保障する独自の基準を設けた』3)ため、『異なる規制制度、異なる建設文化、地域労働市場の相違など』4)によって図らずともコンクリートの扱い方に独自性が表れ、そのなかでも国の活用として肯定的な評価を受けた国であったからである。

 

 1900年代初頭に日本へ到来したコンクリート西洋文化に抵抗があったため、日本人に馴染むことはなかったが、次第に耐震性能をもった建築素材として注目され、扱われ始めた。日本は言わずと知れた地震大国であるが、当時木造過密地区や住宅不足などの問題があり、自然災害に脆弱な側面が依然として存在した。この災害に対するイメージが日本のコンクリート建築を『重厚さと堅牢さ』5)へ導いたのは間違いないだろう。また補足として著者は日本人のコンクリート利用法における過剰性への価値観から重厚さ的なコンクリート建築へ導いたのでは指摘していた。日本の建築家は量塊的で余剰を含んだ重厚な寺院建築、木造伝統建築に慣れ親しんでいたため、ヨーロッパの構造合理主義に示されるような、形における強さを目指さなかったとしている。この補足には私自身洋館建築の模倣が当時多く行われた背景もあるため懐疑的だが、丹下健三香川県庁舎(1958)を見るとなんとなくその側面も理解できてしまう。

 香川県庁舎は構造や梁のディテールまで木材であるかのように見せている。また柱は『1階の柱はまたも型枠の木目がついたコンクリートで、足元が切り取られ、柱が木材で覆われている』6)ように見せ、表面さえも木のシンボルを持っている。日本の近代コンクリート建築は災害との付き合うため、またコンクリートを伝統木造建築のように贅沢に用いるなど日本独自の価値観から重厚さと堅牢さをもった形態へ導かれた、これは日本的コンクリートというには早期な気がするが、その傾向はあるといえる。

www.tangeweb.com

10plus1.jp

 

 

第七章 記憶か忘却か

 コンクリートは記念物にとって選択されやすい材料であったが、しばしば『記憶喪失的な素材』7)としてみなされる節があった。またミニマリストなどの『記憶の表象に敵対する芸術家には避けられ、記憶を表象したい者には選ばれ』8)た素材でもあった。ピーター・アイゼンマン(1932-)のホロコースト記念碑(1997-2005)をイメージしてくれると理解しやすく、その現状は石碑に腰かけて談笑する若者など、人々がじつに思い思いに過ごす場となっている9)である。このように記念碑は作ったものの、その形から当時の記憶を想起させることや記憶を忘れていくことにどう対抗するか、といった問題に直面する。コンクリートは素材の特性から問題の悪化を手助けしてしまう素材なのかもしれない。この章で紹介されている4つの記念碑はコンクリートが『同時に記憶と忘却の材料でありうる』10)ことを示す内容となっている。一見矛盾を示すようだが、これこそが一番の特徴だと私は確信している。

 

 作者はその1つとしてパリの移送ユダヤ人犠牲者記念碑(1953-62)が挙げられている。設計者のジョルジュ=アンリ・パンギュソン(1894-1978)はそもそも記念碑に記憶を託す試みに懐疑的だったのもあり、移送ユダヤ人犠牲者記念碑には具体的なシンボル性もなければ、文字も示すものもない11)。(画像をみながら読んでほしいが)そこには地下に彫り込まれた4メートルのコンクリート壁で囲まれた「ヴォイド」があり、そのコンクリートには風化を助長させる目地や継ぎ目も存在しない12)ため、その場で読み取れる情報や時間性があまりにも少ない。パンギュソンは『一種の感覚遮断を生み出しており、観者が空と現前とに集中するように強いている。取り囲むコンクリートはいかなる種類であれ、歴史を振り返るばかりか時間の経過を思い返すことも促さない13)』ものとして記念碑を設計した、と著者は持論を展開している。この記念碑におけるコンクリートは風化を防ぎ永続性を獲得しながら、鑑賞者はそこから記憶、時間さえも獲得できない。パンギュソンはこの記念碑を設計するにあたって、記念碑における記憶と忘却の儚さや瞬間性を受け入れ、記念碑に赴くということはどういうことかを問うた上でコンクリートを採用したといえる。

de.wikipedia.org ホロコースト記念碑(1997-2005)

03_12 Memorial des Martyrs de la Deportation

 移送ユダヤ人犠牲者記念碑(1953-62)

 

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 ここまでの文章からコンクリートはもうつまらない素材と感じることは難しいだろう。前回のブログの最初にコンクリートは雄弁で且つ沈黙を貫く素材と書いたが正確には違う。第7章の最後には記念物が逆にコンクリートに与えたものがあると示した。『コンクリートを記念物に使用することで、コンクリートは意味に影響されないわけではなく、図像的意味を持つという事実が露わになった。加えて(…)コンクリートの意味はまったく流動的で気まぐれであり、歴史的状況によってつくられるという事実も露わになった』14)

 コンクリートは常に沈黙を貫く素材だが、人間が持たせたがるもしくは持たせてしまった意味がコンクリートを通じて意味、もしくは図像となって表れる。それは素材が語っているように見えるが、人間が素材(メディア)を使って間接的に語っているのである。また記憶と忘却の関係のように、人間が語りたい「是」の内容に対して「非」が現れて、思い通りにならないひねくれた素材である。コンクリートは両義的かつ2項対立で考えるとうまくいかない。私には本当は「近代/非近代」、「歴史的/非歴史的」「自国的/国際的」ではなく、人間の都合でかつ、偶発的に意味性がコンクリートの中で入れ替わるメディアとして付き合うほうが正しいと思う。まさに『コンクリートと文化の関係は依然として不安定なまま』15)の状態を受けいれることがよいのではないだろう。

 

1)本書, p130  2)本書, p179  3)本書, p152

4)本書, p152  5)本書, p173  6)本書, p173

7)本書, p252  8)本書, p252  

9)小田原のどか,戸田穣 彫刻と建築の問題——記念性をめぐって(アメリカ・ドイツをめぐる記念碑の議論), 10+1 websitehttp://10plus1.jp/monthly/2018/08/issue-01-4.php

10)本書, p281  11)本書, p271  12)本書, p272

13)本書, p272  14)本書, p282  15)本書, p376

 

 

 

 この記事では全10章の中で特に自分が関心を持ったものを要約し、書きながらコンクリートへの理解を深めていけた。本書を読むだけでも知らない単語が多く、ggっても英語圏の記事しか出てこないアカデミックな内容ばかりで刺激的な物であった。写真の章も面白かったが、説明の文章を書く体力がもう残ってないのでまたの機会にしたい。

 知の探検をするにあたって必要な一冊であることは違いない。

読書レポート メディアとしてのコンクリート

 私はある高専の4回生にして初めてコンクリートの成り立ちを見た。その時は「建築材料実験」という授業で砂をふるいにかけ、分量を計算、調合し混ぜ合わせるといった過程をふみながら生成した記憶がある。他にも「建築材料」や「鉄筋コンクリート構造」といった授業で物性や強度におけるコンクリートを私は学んだ、まさに工学的教育の観点から材料を知ったといえるだろう。私が学んでいた高専JABEE(日本技術者教育認定機構)認定校であったこともあり、一級建築士になるためにコンクリートを数ある建材の一つとして学んだ。その教育地盤が私にあるため、この本《メディアとしてのコンクリート: 土・政治・記憶・労働・写真》には驚かされた。

 

 この本を読むにあたって、コンクリート通俗的な座学を求める人には適さず、ましてやコンクリートの年表のようなものを期待している人にも適さない。訳者の言葉を借りるならば『コンクリートの意匠的、文化的価値について説明する本』1)を期待する人に適するとされている。

 

 本書の副題にある「土・政治・記憶・労働・写真」はコンクリートという素材(メディア)を通じて、それぞれの歴史の見え方が更新されるものとなっている。各章ごとにコンクリートもしくは「土・政治・記憶・労働・写真」という「メディア」の読み解きを繰り返していくことで、いかにコンクリートが雄弁なメディアでありながら沈黙を貫くメディアに見えるか、または相反する二面性を持つメディアであるかを知ることができる。

 

 とはいえこの記事はあくまで読書レポートであるため、本文で350000文字程度(?)ある本書をコンパクトにかつ、気になった章においてなぜ面白く感じたかを書き留めることを目的としていきたい。(添付されたリンクは建築のイメージと名前をリンクさせるものです)

 

 

第一章 土と近代性

 コンクリートル・コルビュジエ(1887-1965)などが新しい建築の形として用いたことで、近代的建築表現の「近代性」を象徴するものとして扱われた。その一方でコンクリートには高度な手作業に依存する非先進性、「非近代性」が孕んでいるように見えてきた歴史がある。そのためコンクリートに対する議論は常に「近代性」と「非近代性」という矛盾する性質の間で揺れ動いてきた。この章ではセメント・コンクリート産業がコンクリートの初期の歴史において、近代性をもつ素材という評判を獲得するまでの事例と歩み2)、そして歩みを進めることで「非近代性」の側面にも気づいていく事例が記されている。

 

 この章で興味を引いた人物として、オーギュスト・ペレ(1874-1954)が挙げられる。当時のペレのコンクリートに対する見方が特にこの章の興味深さを引き立てる。ペレは1903年に複数コンクリートフレームでつくられたフランクリン街25番地のアパートメント(1903-4)を設計するなど、当時フランスでは建材として新規性があったコンクリートの設計において先駆者的存在で、古典的なオーダーやシンメトリーを多用し、古典主義に忠実な側面がある建築家である。第一次世界大戦後、鉄筋コンクリートは(一時的に)コルビュジエや他の建築家によって「革新的」な材料と評され、ペレ自身第一次世界大戦以前から鉄筋コンクリートのデザインの評価が高い人物だった。しかしペレの作品に対して当時の批評家たちは『材料の選択の新しさと、形態の古典性という明らかな矛盾がある』3)と指摘している。

 

 1920年代のペレの作風は新規性の強い形ではなくポンテュ街の車庫(1906-7)のようなフレームを表す傾向があった。またペレの関心はコンクリートを近代的なものとして回収せず『「高貴」なものとして確立させる』4)ことであり、それが次第に柱梁構造で構成するようになる作風へ繋がっていく。またランシ―の教会堂(1922-3)の建設以後、『すべてが打ち放しコンクリートで作られ、ぴしゃん打ちで骨材を露わにするよう仕上げ』5)られるようになった。

 

 この文章からペレは「純粋にかつ合理的に用いたコンクリート」に魅力を感じたことがうかがえる。また土と同様に『鉄筋コンクリートは「部材」がない建設方法である』6)ことを踏まえてなお、まぐさ式構造に拘った信念はペレ後期のフレーム建築に強く反映されていると考えられる。
www.gettyimages.co.jp ポンテュ街の車庫(1906-7) 

Auguste Perret, Notre Dame, Le Raincy, 1922-23

 ランシーの教会堂(1922-3)

 

  

第三章 歴史のない素材メディア

  コンクリートはどのような形もつくれる自由な素材である。そのためコンクリートは鉄骨建築や木造建築など建築形態や様式に擬態することができ、代表的な形といわれても思い浮かべることができない。ギリシアの建築家P・A・ミケレスは『「鉄筋コンクリート建築の形態は、不完全で中途半端なものであり、仮にそこまででないにしても未だにその形態を特定することができていない」』7)とし、コンクリートの代表的形態の不在を指摘、歴史のない素材として表現されている。この話は現在でも鋭い指摘に感じ、共感できる。

 

 一方サント=ジャンヌ・ダルク教会の設計競技案について本書で興味深い引用がされている。『ペレの設計案についてポール・ジャモは、「この巨大な教会は、医師の脆弱さゆえに自らのカテドラルで計画通りに塔の本数や高さを実現できなかったゴシックの建設者たちの夢をかなえるものとなるだろう」と記した。さらに以下のように加えた。「鉄筋コンクリートとそれがもたらす変化の恩恵を受けて、オーギュスト・ペレは5、6世紀の時を経て、中世の理想を実現している」』8)。つまりゴシック建築の夢を叶えられる素材として石からコンクリートへ。このように中世建築研究者や構造合理主義者にはコンクリートを歴史のない素材として見えていた。

 

 

 第三章は以上のようにコンクリートの歴史性の是非を問う章で、【コンクリートの歴史性】【非歴史的な素材】といった節がある。そして最後に【過去と現在を混ぜ合わせる ー戦後イタリア】があり、この節とそこで紹介されているジョヴァンニ・ミケルッチ(1891-1990)が設計したサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会(1960-64)に注目したい。

 

 が、その前にイタリア合理主義を簡単におさらいしたい。イタリア合理主義とはファシズムという政治体制や文化、芸術と深い関係がある建築運動で、ファシズム建築としてカテゴリ化されやすいが、主な特徴としてモダニズム建築と古典主義建築、二つの主義を折衷した形状が特徴的である。代表的な建築としてジュゼッペ・テラーニ(1904-1943)のカサ・デル・ファッショ(1932-6)、マルチェロ・ピアチェティーニ(1881-1960)のイタリア文明館(1938-43)などが挙げられる。またファシズムとコンクリートにおける関係は特筆すべき点がある。そのテキストは第八章に詳しく書かれているが、そのテキストを短めに抜き出したい。『ファシズム期のイタリアでは熱狂的かつ創造的にコンクリートを使用した。(…)コンクリートが国家の技術的進歩主義を示す材料であった』9)。またテラーニのカサ・デル・ファッショでは『コンクリートの躯体がすべて他の材料で覆われているが、中心の重要部分だけはそれ自体が宗教的な遺構であるかのように躯体が露わになっている』10)

 

 本書では明言していないものの戦前から戦中にかけてのイタリアはファシズムを表すメディアとしてコンクリートを用いていたことが容易に想像できる。

 

 上記の戦前-戦中のイタリアにおけるファシズムとコンクリートの関係性を踏まえたうえで、戦後に建設された太陽道路の教会の話に戻りたい。著者は当時のイタリア建築家を『ファシズムから距離を置きつつも、ファシズムのもとで(…)花開いたモダニズムを否定したくない』11)という両義的なイタリア建築の在り方を模索していたとし、それはミケルッチも同様であった。戦後のミケルッチは有機的建築への片鱗を感じさせるデザインや多様な素材を用い、複合建築を採用することに注力した建築家である、そしてペレのような合理主義的建築を否定するようになった。その特徴をサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会から見ていきたい。

 

 下記のリンクにある教会の内部空間から見て分かるように『柱、支柱、筋交いがすべて、まったく混沌とした形で寄せ集められて』12)いる。そしてコンクリートの天蓋は不十分に見える支柱によってテント型を維持している。このデザインはミケルッチの特徴である、建築における工学原理主義への警告(否定)と見て取れる。またこの教会に対して当時の批評家たちは『(…)ドイツ表現主義、[ヘルマン・]フィンシュテルリンやシュタイナーのゲーテアムス、そして[ハンス・]シャウロンのベルリン・フィルハーモニー[コンサートホール]』13)から類似点を見いだした。この教会建築は「過去」のコンクリート建築の様式や伝統を引用と統合をしながら、「現在」の工学を無意識にデザインに還元する態度に疑問を投げたものといえるだろう。

 

 各国にはそれぞれ独自にコンクリートの歴史があるが、それが結びつかれて建築になることはなかった。戦後イタリアの建築家はその非歴史的なコンクリート(の文化)を建築として統合させ、当時におけるファシズム建築の向き合い方を提示することができた、「コンクリートを理解した者たち」といえるのではないだろうか。

de.wikipedia.org カサ・デル・ファッショ(1932-6)

en.wikipedia.org イタリア文明館(1938-43)

www.bmiaa.com  サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会(太陽道路の教会)(1960-64)


 

この続きの章は来週末をめどに出します…。

 

 

1) 著:Adrian Forty, CONCREAT AND CULTURE, Reaktion, London, UK, 2012,(エイドリアン・フォーティー 訳:坂牛卓+邉見浩久+呉鴻逸+天内大樹, メディアとしてのコンクリート, 鹿島出版, 2016, pi) (以下「メディアとしてのコンクリート」を引用する際は(本書)と要約する)

2) 本書, p13 3) 本書, p23  4) 本書, p28

5) 本書, p27 6) 本書, p36  7) 本書, p109

8) 本書, p105 9)本書, p268  10) 本書, p268

11) 本書, p114 12) 本書, p121  13) 本書, p121

 

 

今年度の『既存の椅子の変形における「かわいい」椅子の生成 ―椅子の部分に着目した検討』のテキスト―悩み。

2020年2/8-2/11日に京都市立芸術大学作品展にて『既存の椅子の変形における「かわいい」椅子の生成 ―椅子の部分に着目した検討』という作品を展示をした。作家によっては、はばかれる作品のテキスト公開だが(作品とテキストの分離etc)、思い切って、ここは公開します。

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主題

「かわいい」の意味は「グロかわいい」「ゆめかわいい」など多様化してきている。また意味は個人毎にズレがあり、且つ鑑賞者は可愛い対象に対して具体的な箇所や理由が分からないまま、反射的に「かわいい」と発してしまう。現代の「かわいい」はそのことに対して、批評的な作品をつくることが主目的である。そこでデザインの雛形である椅子を用いて「かわいい」がどの部分から受けるのかを調査、検証する。

手順として、変形させることで大きな変化が見られる椅子のパーツを選択し、変形の条件(足の長さ、太さ、座面の厚さ等)を定めた上で既存の椅子(Chair66/ Alvar Aalto) のパーツを3DCADで変形させる。その椅子を400 脚生成し、その中から28 脚を1/8 模型で展示する。

この微妙に形が異なる椅子が大量に並んだ状態と生成プロセスは、何が可愛くて何が可愛くないのか、意味が空洞になりつつある「かわいい」という言語について鑑賞者に思考させる。また普遍的な椅子を微細な調整で「かわいい」形を見つけ出す行為に対して実現可能なのか、といった議論ができる場となるだろう。

 

{展示では1/3で①Chair66のオリジナル、②Chair66の足の長さ縮小、足の太さ拡大、座面の厚さと大きさ拡張、背もたれの厚さ拡張、足と座面のエッジを丸くした椅子を追加した}

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「技術」を「ワザワザ」と読むことで何が見えるようになるのか

最近1泊2日で韓国仁川にあるカジノ「パラダイスシティ」に行ってきた。そのカジノの内装や空間構成、賭博という「遊び」から生まれる、プレイヤーの振る舞いが今読んでいる『プレイ・マターズ 遊び心の哲学 (Playful Thinking) 』の内容とリンクするところが多かった。またその話は次回以降にしたい。

プレイ・マターズ 遊び心の哲学 (Playful Thinking)

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話が変わり、もう10月の話だが、U-35で展示が行われていた佐藤研吾という建築家が、滋賀県大のDANWASHITSUでレクチャーを行なってくれると聞いた。そのため日帰りでまたしても県立大学を訪問した。


『技術を「ワザワザ」と読むこと』

という全体テーマで話が進み、
・生産過程と成果物との不可分な関係
・あらゆる技術を平等に眺める
・モノの成り立ちに伴う複数性

・active archive amateur   荒地/遊び
・ヒトとモノが共同で繋ぎ、作り上げる(アクティブ)+作り上げられたもの(アーカイブ)

など様々な副題がスライドに移された。

その後は大玉村の歓藍社やインドの学校でのプロジェクト、Project in Santiniketanなどの事例を紹介していた。

 

それぞれ話を聞いていたが、仮説に基づいた建築設計の論的な話はあまり出てこず、意外と実体験に基づいた「経験」→「建築という職能のあり方」に着目した話が多かった。滋賀県立大学らしさというか、芦澤ニズム(?)を言葉の節々に感じてしまう。(もちろん悪いとは言ってない)

 

佐藤氏はインドを含め、農村など過疎地域での活動が目立ち、「ムラ」という孤立、現代の日本における建築家の有り様を考えさせる言葉も多かった。

「ムラ」の中における建築家は、食を、農作業を、寝る場を共に作る、つまり共生を「しなければならない」環境に身を置く、村民の1人と言える。つまり「ムラ」の中では、家や物の作り手である大工と建築家が同じ「ムラビト」でかつ「ムラ」の中でも役割が近い。一方で、ものづくりに対する思考が違うため、制作プロセスが複雑になるが、より近い存在で制作を共にするため、良いものが生まれるのだろう。

 

しかし現代の建築家と大工(作り手)には制作ということに関して大きな隔たりがある。佐藤氏はその隔たりの理由を自身のブログでこう書いている。

昨今の建築における現場と設計の隔たりは、もちろん契約や保証、法規に関する問題からくるものでもあるだろうが、やはり建築を構成する部品のほぼ全てがプレファブリケーション、現場外での工場生産によってなされるようになったことがその問題を大きくしているのではないか。工場生産された部品群の現場での組み合わせはほとんどガンジがらめのルールにしたがってやらなければいけない。既製品の組み合わせの工夫自体が昨今の建築設計の内実となってしまっている状況があり、設計が選んだ既製品の組み合わせ作業が現場の仕事となっている。

佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第33回 : ギャラリー ときの忘れもの

そのため、作り手と設計者が近接しながら適度な距離感をもつ1つのやり方として、金物など建築の一部となるものを建築を構想する者(設計者等)が制作することや、大工が考えられる余地を残す設計を佐藤氏は実行している。他にも

インドでのプロジェクトなどはなおさらだ。たとえ現場に関わることが難しいプロジェクトであっても、何かを作って現場に運び、現場への支給品として納めることもできる。設計図面の納品、および現場監理という仕事とは他の形で、その建築の質なるもの一端へ関与することができる。

佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第32回 : ギャラリー ときの忘れもの

と述べている。

 

金物などの話は建築規模が大きくなればなるほど難しい話にはなるが、このような小さな技術や手間(ワザワザ)を設計~施主の間や物と人の間に挿入する事で、より自分(設計者)にとって作品という存在を近いものにする方法とも言える。

 

佐藤氏の作品を見ても、1つの物において、両者が対等に制作する為に、その制作物における制作プロセスやパーツ(佐藤氏はパーツに重きを置いている)となるものをさらに制作する事で、理論と実践を上手く作品に補完できるのであろう。

 

大分更新が遅れたけど、次は現在京都市立芸術大学作品展が2月にあるので、それに関することを書けたらなと…。会場は芸大と崇仁地区にある元崇仁小学校ですが、僕のは小学校の方です。2月8日(土曜日)~11日(火曜日・祝日)

9時~17時(入場16時30分まで)入場無料です。よろしくお願いします。

 

(年々来場者数が減ってるグラフが学校に張り出してあるのですがのが見てて辛いので…)

20190930 「構え」と「住みこなす」こと

ぼけっとしているうちに、10月も終わりを迎えどこを尋ねても、新たな進路を聞かれる時期になった。寧ろ皆は私が就職をするなど微塵も考えていないし、最早出来るとも思ってもないとだろう。私もそう思う。就職して何年か経った友人は時計や外車、仕事の愚痴の話が増えた。この話を聞くと、いつか自分の話や関心が「社会の大きな流れ」に左右されてしまうのかと、就職できるか分からないのに不安な気持ちにさせられる。

 

ここ最近は遠くに足を伸ばし、フットワークを軽くすることに専念している。何も知らない未開拓文明に、恐れず踏み込む気持ちで訪ねている。クラブや美術館、未知のワークショップ、などのインプット。インプットした情報を自己解釈、書き起すことで己の血肉となるアウトプット。

その2つのバランスはどちらにも傾倒し過ぎないよう気をつけなければならないと思う日々である。

 

 

かなり前になってしまうが、木村松本建築設計事務所の講演会を滋賀県大のDANWASHITSUで聞いてきた。彼らの話はどことなく県大の建築思想を想起させるものが多かったが、その中でもよく覚えてるのが〈house T/salon T〉-⑴ の話である。

house Tの施主はファッションデザイナーで、家族のためのアトリエ・多目的サロンを併設した職住一体型住居を1200万円で建てて欲しいという提案であった。松本氏はその提案での葛藤とそこから見えた発見について語っていた。

house Tは1階が均質で開放的な空間でありながら、設備コアと木造軸組の構造コアを兼ねた場となっている。その構造コアが閉鎖的で耐力壁が使えない2階を支えるものとなっている。

この建物の奇妙な箇所もとい物語は、1200万円で建てられるところは建て、1200万円が尽きたら、建物が未完の状態を施主が希望した点である。施主は未完の建物に対して、生活に必要な機能を既に持っている物で自らの手で補う1つの「生き方」を採用したのである。例えばhouse Tの1階の水場に壁が欲しい時、ファッションデザイナーである施主は、自らの生活圏内のものである布で代用することができた。
私たちは資本によって、2019年の生活様式で暮らせる住宅を作り出すことが出来る。しかし(言い過ぎであるが)校倉式や竪穴式住居と比較すれば、無駄な物や構造体が多い。木村松本はこの施主から、まず人が住む場を組み立てて、その他全てを等価に扱う事でも1つの建築が成立する「構え」(これは構造を指す言葉でもあるが、1種の建築的態度を指す言葉でもある)に気付かされたのである。サイトスペシフィックな「構え」さえあれば、住み手は自ら生活領域を開拓するかのように、建築に適合しようと楽しみながら模索する、気づけば不思議と生活できてしまうということだろう。

 

この「構え」の思想は木村松本のスタディ方法にも及んでいる。木村松本のスタディは場合によって様々と前置きしていたが、住宅の場合は軸組模型が多いとのこと。そのため通常のプランニングや模型検討から決められる開口の決定は出来ないそうだ。例として〈house S/shop B〉-⑵  が挙げられる。この妻側の窓と筋交いは開口の位置が後から決められたかのような重複の仕方で設けられている。しかし制作プロセスを聞けば、この窓の様態は(構造の勝ち負けでも分かるかもしれないが)よく理解出来る。

 

村松本の建築は周辺環境から定義づけられた構造によって、合理的でフラットな建築にも見える。しかし青木淳の「原っぱ」を再現した建築とも言えない。この建築は2つの特性が噛み合うことで成立していると考えられる。ひとつはサイトスペシフィックで分かりやすい「構え」、2つ目は施主の「生活圏を開拓できる能力」を最大限引き出せるデザインだろう。

 

このレクチャーは住居建築の「構え」を再考するきっかけでありながら、設計者が住み手の住みこなす力を信用し、建築デザインに反映することの可能性を垣間見た瞬間だった。

 

house T / salon T

house S / shop B — 設計:木村松本建築設計事務所 施工:K's FACTORY | 新建築.online/株式会社新建築社
f:id:BAquavit:20191109003523j:image

20190807の感性学まとめ

今日をもって私の夏休みが開始されるわけだが、特に予定もなければ、建築学生あるあるの設計事務所インターンもするわけではない。怠慢といえばそれまでだが、院生の夏休みの使い方が分からずに迎えることになってしまった。

以前は夏休みこそコンペをガツガツやるぞ!みたいなハングリー精神を持っていたが、今は建築のみならず、多くのことに手を出す「落ち着きのない子供」そのものである。大学院生は少しずづ専門に特化していく存在らしいが、もはやそれには成りえることはない。そんな予感はする。

 

先日京芸の院生講義である感性学に行ってきた。最後の授業であり最終レポートを受け取るための補講。

いつも通り20分遅れていったら受講生は7人程度で、多くの人は一足先に夏休み、県大にはない自由?とういか芸大らしさを感じる。

 

感性学は基本的に芸大生が芸術に関する質問を先生に投げかけ、アンサーをもらうものだったが、いつの間にか芸大生のこころのお悩み相談室になっていた。しかも回答が曖昧だからぼんやりとなってしまう。

(私は今何聞いてんの…)みたいな気持ちはあったが、最後の講義はとても気になる話題だった。

 

 

1人の女学生が「常に怒りっぽく、近隣住民の騒音や落ちてきた鳥の糞、相手の些細な言動まで大小様々なことに怒りやストレスを感じるのですが、どうすればいいですか?」というものだった。

先生によれば、怒りというものは自分と「敵」が存在したうえで起きるもの。その敵への怒りをどのように処理できるかが問題で、怒りという感情は発生自体を抑制しにくいものらしい。

 

ここで重要となってくるのが自罰・他罰・無罰という考え方である。

これは後で調べたことだが、この用語は心理学で使われている。これはP-Fスタディ(絵画欲求不満テスト)で使われ、Rosenzweig,S(ローゼンツヴァイク)が自らのフラストレーション耐性理論に基づいている。

 

 P-Fスタディは、フラストレーションを引き起こす片方の人の発言が描かれた24場面に対して、他方の人がどのように返答するかを吹き出しに書き入れます。被検者には「この人は何と答えるか」と教示します。
 各場面に対してマニュアルで規定された表現の中から、被検者が書き込んだ発言に相当するものを「外見的、表出的意味」に基づいて選び、評定を行います(E'、Eなどに符号化する)。

 評定結果から、「アグレッションの方向(他責的・自責的・無責的)」と「アグレッションの型(障害優位型・自我防衛型・要求固執型)」を組合せた「9分類」のパーソナリティ傾向に被検者を分類します。
 アグレッションとは、どのように反応できるかという「主張性」を意味しています。

アグレッションの方向:
 他責的:他者を責める傾向
 自責的:自分を責める傾向
 無責的:誰も責めず、不可避と考える傾向
アグレッションの型:
障害優位型:障害の指摘に重点を置く「逡巡反応(シュンジュン)」。率直な表明を避け、欲求不満が解消されない。
自我防衛型:基本的で直接的な自我を防衛する「他罰/自罰/無罰反応」。欲求不満の解消のため率直な表明を行う。
要求固執型:問題解決に重点を置く「固執反応」。問題解決や欲求充足のための表明を行う。

P-Fスタディ: 心理学用語集

つまりは怒りの方向が他者か自分か無、このいずれかである。

問題の見え方(どこに怒りを感じているか)によって感情をコントロールするのは難しいが、社会では場面によってアグレッションの方向の使い分けが必要であると認識してる。議論や責任問題の話では、自分が他責的になれば相手を不快にさせ、他者の怒りを生む。しかし自責的過ぎると話が億劫になるどころか、自分へのストレスが強くなる。しましには日本人の多くが罹る「うつ病」になるだろう。

一見無罰がストレスフリーで、いかにして怒りの対象を無罰へもっていきストレスを抱えずに済むかという話に聞こえる。しかし無罰が過ぎると無反省な人として見られ、かえって更なる怒りを買う時がある。

 

答えが出ず、悩ましいところだが、先生は最後に重要なことを言っていた。

自罰や他罰を抱えた人は他人に「怒りが強い愚痴」を言う。

しかしその愚痴はまとまっていない場合が多く、結局何が言いたかったか分からず怒りが解消されないときもある。また厄介な問題として、話がまとまっていないにも関わらず、聞き手が理解しないと、話し手がストレスを感じてしまうことである。

その解決方法として、《他人に話す前に、ストレスが生まれた時の前後の話を自分で声に出す》こと。怒りは状況が整理され、原因が明確になると、自ら解決方法を導きだしやすくなり、聞き手も解決方法を提示しやすくなる。

 

これは深く納得できる話で、「うつ病」を未然に防ぎながら、友人とも話せる「楽しい愚痴」になる一つの手段として有効だと思う。

「常に怒りっぽく、近隣住民の騒音や落ちてきた鳥の糞、相手の些細な言動まで大小様々なことに怒りやストレスを感じるのですが、どうすればいいですか?」という質問には「まず全部ひとりごとでもいいから言葉として吐き出す」なのだろうか?

建築学生、他人に分かる言葉で話せよ、ってさ。③

 京都で大学院生活を初めて早1ヶ月だが、ゼミが放置タイプであるため自分なりに文章を書く機会を増やしてみてる。

 

以前の投稿もそうだが、自分の糧となりそうな講義のログ、曲作りやコンペのアイデアも然り即ボムの精神を大事にしてる。

 

そんなことはどうでもいいが、以前より建築学生の言葉の使い方、用法を気にする記事を書いてきた。

 

建築学生の言葉(かなり雑な表現だが)は学問に増資の深い身内で使う分には問題ないし、むしろわからない言葉はGoogle様に頼り、検索する癖をつけた方がよき。

 

他学問の領域まで拡がる建築言語の森を楽しく、自ら探究するべきだし、自らの糧にした方が得である。

 

が、そうでない人にはどうするべきだろうか。

 

①文字と図式など視覚的に理解させること。

②使う言語を体感や感性で分かるもの、学術性より経験的に納得できる言語を注意して選択し、伝えること。

③自分が一方的に話すのではなく、相手側を「傍聴から参加している人へ仕向ける工夫」が大事。

 

前回と少しニュアンスが違うようにみえるが、ほぼ同義である。最後の問題は「話し方」である。

 

日本語というものはお互いを理解しあう会話において厄介極まりないなあ、と最近よく思う。

ひどく抽象的であいまいな表現を多用し、相手に誤解を生むような単語が多い。

日本語の良さといえばそうかもしれないが、伝え方のデザインとしてはどうなのだろうか?

自分も多用して情けないが、「多分」や「~のような」(前の学校の師は例えば《森のような建築》といった提案を出すと、「なら森でいいじゃん」というなかなか切れ味が鋭い返しをされたことが記憶に新しい…)、主観なのか客観的なのか分からない文法、言い始めたらきりがない。

最近考えているのが、誤解が生みそうな発言では、英語や中国語のように言い切り及び断定、面倒だが出だしの「私は」など省略してもよさそうなところを言うなど、丁寧に正しく言葉を用いるというのは、「伝え方のデザイン」の以前に、礼節なのかもしれない。

言葉を正しく伝えるというのは、やはり難しいものであるが

「この発言を聞いて中学生だったらどう思うのだろうか?」

というのは常に念頭に置きながら話さなければいけないな、という訓練を繰り返していかなければいけない。

 

少し話がずれるが、「話し方」が上手な人はyoutubeで建築コンペティション関連で検索すると良く出てくる。

例えば卒業設計展で多いが、作品の話の流れから

審査員「この作品ならこういう可能性もあるよね…?どうかな?」

制作者「いや、この作品はこういうコンセプトで作られているので違います。」

 

制作者の気持ちはわかる。しかし作品の可能性を閉ざすのもそうだが審査員の気持ちも離れてしまう発言でもあり、もったいない。聞き手が関心を持ち、会話の中でそれぞれがよいイメージをもった状態で質疑応答を終わらせることも一つの「話し方のデザイン」なのかなと最近思う。

 


第8回 エイブル空間デザインコンペティション 『THE PRESEN』 (5/7)

 

全三回にわたってまとまりのない話をしたが、全体で何となく言いたいことが伝わってくれると、うれしい。