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建築学生から何故か布全般を扱うデザイナーになりました

今年度の『既存の椅子の変形における「かわいい」椅子の生成 ―椅子の部分に着目した検討』のテキスト―悩み。

2020年2/8-2/11日に京都市立芸術大学作品展にて『既存の椅子の変形における「かわいい」椅子の生成 ―椅子の部分に着目した検討』という作品を展示をした。作家によっては、はばかれる作品のテキスト公開だが(作品とテキストの分離etc)、思い切って、ここは公開します。

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主題

「かわいい」の意味は「グロかわいい」「ゆめかわいい」など多様化してきている。また意味は個人毎にズレがあり、且つ鑑賞者は可愛い対象に対して具体的な箇所や理由が分からないまま、反射的に「かわいい」と発してしまう。現代の「かわいい」はそのことに対して、批評的な作品をつくることが主目的である。そこでデザインの雛形である椅子を用いて「かわいい」がどの部分から受けるのかを調査、検証する。

手順として、変形させることで大きな変化が見られる椅子のパーツを選択し、変形の条件(足の長さ、太さ、座面の厚さ等)を定めた上で既存の椅子(Chair66/ Alvar Aalto) のパーツを3DCADで変形させる。その椅子を400 脚生成し、その中から28 脚を1/8 模型で展示する。

この微妙に形が異なる椅子が大量に並んだ状態と生成プロセスは、何が可愛くて何が可愛くないのか、意味が空洞になりつつある「かわいい」という言語について鑑賞者に思考させる。また普遍的な椅子を微細な調整で「かわいい」形を見つけ出す行為に対して実現可能なのか、といった議論ができる場となるだろう。

 

{展示では1/3で①Chair66のオリジナル、②Chair66の足の長さ縮小、足の太さ拡大、座面の厚さと大きさ拡張、背もたれの厚さ拡張、足と座面のエッジを丸くした椅子を追加した}

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なぜ2020 年の今「かわいい」を取り上げて作品をつくるのか

なぜ今私はこの「かわいい」という研究されつづけ、日本社会やデザインで消費され続けた「かわいい」文化について、なぜ2020 年の今取り上げ、このような作品を作るのか。その目的をここで示したい。

まず日本における「かわいい」文化の潮流を述べる。1960 年後半から1970 年前半では主婦を主婦たる地位にとどめる社会状況に対して、変革を求める女性解放運動が盛んな時期であった。この流れは文学や少女漫画に大きく影響し、社会に抑圧された少女の姿を描いた『ベルサイユのばら』、少女の内面性を重視しながら理想を描いた漫画雑誌『りぼん』が挙げられるように、少女たちを社会や過酷な現実から逃げる場をつくった作品が多かった1)。そのためこの時代に使われる「かわいい」は甘美で感傷的・夢想的な情緒を好む言葉であったが社会で消費され、社会で女性の居場所を確保するための言葉から表層的に捉えられる言葉へ移行した2)

ファッションでは1970 年初頭から「原宿系」という甘美で感傷的・夢想的な「かわいい」要素を取り入れたストリート系ファッションが生まれた。このファッションは少女自身のファッション観を肯定し、個人主義的な「かわいい」を進めるものだった。1980 年初頭にはロリータ・ファッションが誕生する。松浦桃によれば「ロリータ・ファッションでは、『お洋服』という無生物ながら、それを愛するものにとって大きな存在感で心を支えてくれる大きな魅力を持っている」3) と述べている。しかしロリータ・ファッションは纏える心のよりどころから次第にファッション・アイテムとして消費され始めた。このように当時のファッションは1960 年代の文芸・少女漫画が持っていた女性の社会批判的な側面から個人の存在を主張するコンテンツへ、そして消費的に使われるファッション・アイテム化が加速していった。

2006 年には「エロかわいい」が流行語になり、「○○+ かわいい」の形式で「かわいい」があらゆるものに対して評価できる言語となった。現在では形式が15 種類4)まで増え、意味が多様で捉えどころがない言語となったが、他にも日常会話のなかで相槌や会話の切り口として使う無意味な「かわいい」が見られる5)。なぜ「美しい」や「かっこいい」ではなく「かわいい」が採用されるのか。これは他の形容詞と比較して親しみやすいこと、その定義の広さかつ柔軟さから相手に同意を求めた際に否定されにくい6)ことから、「かわいい」が相槌に選択されやすいと考えられる。これは宮台真司の1994 年に発行された『制服少女たちの選択』でも指摘されている。宮台は70 年代以降「わたしだけがわかるわたし」という個人主義的な可愛さから「かわいいコミュニケーション」へ移行したが、80 年代後半は“なんでも「かわいい」と言っておけばOK” と対象を「無害化」するための手段へと機能が変化していった7)

 

「かわいい」の意味は社会への対抗心から生まれた言葉だったが、70 年代から個人の主張を示す言葉へ、00 年代では「○○+ かわいい」、会話の切り口として使う言葉となり、「かわいい」における意味の希薄化が示された。近年はどうだろうか。森ガールやスージョ(相撲女子)のように自身の趣味趣向を優先し、自分なりの「かわいい」を見つけ出そうとしている。近年の「かわいい」は自己表現のツールと共感を得るためのツールとして使われやすい。しかし現在ではinstagram などのSNSやカメラアプリのSNOW といった、共感を得るための「かわいい」が目立つ。HUFFPOST の《「かわいい」が分からなくなった若者たち。ZOZO やSNS が奪ったモノ》8)ではファッションの均質化がみられるとし、その原因として『他人より目立ったり、ずれたりすることへの恐怖心も大きくなっていったのです。多くの若者が「わかりやすいルール」や「正解」を求め、自らファッションにおける「制服化」を望む傾向を感じます』と述べている。これは「かわいい」にも言えることであり、instagram では似たような可愛らしいものに【いいね!】を推す。現在では「かわいい」は共感を得るための機能が重要視され、形骸化した貧困な語彙だと言わざるを得ない。

我々はこの貧困で形骸化した語彙を対象に当てはめ、共感を得る。この行為が蔓延する現代で【共感】という、意味が空っぽな「かわいい」に対する形はどのようなものなのか、その共感を得る「かわいく見えるもの」から真に「かわいい」と呼べる形にする変形手法はあるのだろうか。

今回の研究及び作品は椅子を用いて「かわいい」がどの部分から受けるのかを調査・検証することで、普遍的な椅子を微細な調整でかわいい形を見つけ出す行為の実現可能性を考える。また意味が空っぽな『かわいい』の意味を再考し、貧困で形骸化した語彙から脱出するきっかけとなることを目的とする。

1) 編集:大塚英志『少女雑誌論』東京書籍 1991
2) 宮台真司, 大塚 明子, 石原 英樹『サブカルチャー神話解体 少女・音楽・マンガ・性の30 年とコミュニケーションの現在』パルコ出版 1993
3) 松浦桃『セカイと私とロリータファッション』 青弓社 2007
4) 伊藤祐奈『いくつ知ってる? 15 種類の“かわいい“を使い分けるティーン「○○かわいい」集』2017
https://teenslab.mynavi.jp/column/15-kawaii-words.html
5) 石川なつ美「かわいい」の意味について 東京女子大学言語文化研究24 2015
6) 同上
7) 編集:東浩紀『ゲンロン「小特集 現代日本の批評Ⅱ」市川真人:基調報告 一九八九年の地殻変動 より』
株式会社ゲンロン2016
8) 軍地彩弓『「かわいい」が分からなくなった若者たち。ZOZO やSNS が奪ったモノ』HUFFPOST
https://www.huffingtonpost.jp/entry/heisei-fashion-03_jp_5cbfef0ce4b0ad77ff7cef43

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テーマ自体に悩むことも多く、作品を実体・展示としてアウトプットしたのは良かったが、実体とテーマのズレや作品から鑑賞者がどのように汲み取れば良いのか悩ませる展示構成・表現になってしまった。実際に展示会場にいて鑑賞者を1日観察していて痛感した次第。

一方で今後の課題も見えてきている、というのも「かわいい」自体の抽象度が高く扱いにくいテーマを扱うとそれ自体がネックになってくる。他の物体に対する「かわいい」研究では「かわいい」概念を定量化させるため、アンケートなど客観性を持たせる内容が多い、しかし扱うテーマの性質上、大まかな傾向・域など緩やかなアウトプットしかできない(しかない)(色域など)。そのため今作品は最終的には主観的に生成→主観的に「かわいい」を定義する(後にアンケートをとることで客観性を持たせる…?)ことで、ある程度割り切りをもって作品の強度をもたせることにした。しかしこれで良いのかという疑念も拭えない。

今後の課題は主観性が強い概念に対してどう切り込み、最終的に既存の製品を「よりかわいくする」手法は確立できるのか?という問いをどう立てるのか。あと椅子の変形の条件、例えば椅子のアールの部分をパラメトリックに変化させるなど条件の種類を数倍にしないとやってる事が浅い。

これを今後クリアにしなければアウトプットの手順が成立しないだろう。

 

これからこのシリーズというか研究を続けるか分からないが、どこか着地をさせたいという気もある…。今考えてるカットアップ・デコラティブ設計もやりたいなぁ。

 

作品展を見に行った方、テキストを読んだ方、意見おまちしています。