芋焼酎(建築学生)

以前は卒業制作に至るまでのストーリー?的な感じでしたが、今回二度目の卒業制作ということで、建築に関係のないことを色々やっているうちに自分が何なのかわからなくなってきた苦悩の日記に成り果てました【不定期21時更新】

読書レポート メディアとしてのコンクリート

 私はある高専の4回生にして初めてコンクリートの成り立ちを見た。その時は「建築材料実験」という授業で砂をふるいにかけ、分量を計算、調合し混ぜ合わせるといった過程をふみながら生成した記憶がある。他にも「建築材料」や「鉄筋コンクリート構造」といった授業で物性や強度におけるコンクリートを私は学んだ、まさに工学的教育の観点から材料を知ったといえるだろう。私が学んでいた高専JABEE(日本技術者教育認定機構)認定校であったこともあり、一級建築士になるためにコンクリートを数ある建材の一つとして学んだ。その教育地盤が私にあるため、この本《メディアとしてのコンクリート: 土・政治・記憶・労働・写真》には驚かされた。

 

 この本を読むにあたって、コンクリート通俗的な座学を求める人には適さず、ましてやコンクリートの年表のようなものを期待している人にも適さない。訳者の言葉を借りるならば『コンクリートの意匠的、文化的価値について説明する本』1)を期待する人に適するとされている。

 

 本書の副題にある「土・政治・記憶・労働・写真」はコンクリートという素材(メディア)を通じて、それぞれの歴史の見え方が更新されるものとなっている。各章ごとにコンクリートもしくは「土・政治・記憶・労働・写真」という「メディア」の読み解きを繰り返していくことで、いかにコンクリートが雄弁なメディアでありながら沈黙を貫くメディアに見えるか、または相反する二面性を持つメディアであるかを知ることができる。

 

 とはいえこの記事はあくまで読書レポートであるため、本文で350000文字程度(?)ある本書をコンパクトにかつ、気になった章においてなぜ面白く感じたかを書き留めることを目的としていきたい。(添付されたリンクは建築のイメージと名前をリンクさせるものです)

 

 

第一章 土と近代性

 コンクリートル・コルビュジエ(1887-1965)などが新しい建築の形として用いたことで、近代的建築表現の「近代性」を象徴するものとして扱われた。その一方でコンクリートには高度な手作業に依存する非先進性、「非近代性」が孕んでいるように見えてきた歴史がある。そのためコンクリートに対する議論は常に「近代性」と「非近代性」という矛盾する性質の間で揺れ動いてきた。この章ではセメント・コンクリート産業がコンクリートの初期の歴史において、近代性をもつ素材という評判を獲得するまでの事例と歩み2)、そして歩みを進めることで「非近代性」の側面にも気づいていく事例が記されている。

 

 この章で興味を引いた人物として、オーギュスト・ペレ(1874-1954)が挙げられる。当時のペレのコンクリートに対する見方が特にこの章の興味深さを引き立てる。ペレは1903年に複数コンクリートフレームでつくられたフランクリン街25番地のアパートメント(1903-4)を設計するなど、当時フランスでは建材として新規性があったコンクリートの設計において先駆者的存在で、古典的なオーダーやシンメトリーを多用し、古典主義に忠実な側面がある建築家である。第一次世界大戦後、鉄筋コンクリートは(一時的に)コルビュジエや他の建築家によって「革新的」な材料と評され、ペレ自身第一次世界大戦以前から鉄筋コンクリートのデザインの評価が高い人物だった。しかしペレの作品に対して当時の批評家たちは『材料の選択の新しさと、形態の古典性という明らかな矛盾がある』3)と指摘している。

 

 1920年代のペレの作風は新規性の強い形ではなくポンテュ街の車庫(1906-7)のようなフレームを表す傾向があった。またペレの関心はコンクリートを近代的なものとして回収せず『「高貴」なものとして確立させる』4)ことであり、それが次第に柱梁構造で構成するようになる作風へ繋がっていく。またランシ―の教会堂(1922-3)の建設以後、『すべてが打ち放しコンクリートで作られ、ぴしゃん打ちで骨材を露わにするよう仕上げ』5)られるようになった。

 

 この文章からペレは「純粋にかつ合理的に用いたコンクリート」に魅力を感じたことがうかがえる。また土と同様に『鉄筋コンクリートは「部材」がない建設方法である』6)ことを踏まえてなお、まぐさ式構造に拘った信念はペレ後期のフレーム建築に強く反映されていると考えられる。
www.gettyimages.co.jp ポンテュ街の車庫(1906-7) 

Auguste Perret, Notre Dame, Le Raincy, 1922-23

 ランシーの教会堂(1922-3)

 

  

第三章 歴史のない素材メディア

  コンクリートはどのような形もつくれる自由な素材である。そのためコンクリートは鉄骨建築や木造建築など建築形態や様式に擬態することができ、代表的な形といわれても思い浮かべることができない。ギリシアの建築家P・A・ミケレスは『「鉄筋コンクリート建築の形態は、不完全で中途半端なものであり、仮にそこまででないにしても未だにその形態を特定することができていない」』7)とし、コンクリートの代表的形態の不在を指摘、歴史のない素材として表現されている。この話は現在でも鋭い指摘に感じ、共感できる。

 

 一方サント=ジャンヌ・ダルク教会の設計競技案について本書で興味深い引用がされている。『ペレの設計案についてポール・ジャモは、「この巨大な教会は、医師の脆弱さゆえに自らのカテドラルで計画通りに塔の本数や高さを実現できなかったゴシックの建設者たちの夢をかなえるものとなるだろう」と記した。さらに以下のように加えた。「鉄筋コンクリートとそれがもたらす変化の恩恵を受けて、オーギュスト・ペレは5、6世紀の時を経て、中世の理想を実現している」』8)。つまりゴシック建築の夢を叶えられる素材として石からコンクリートへ。このように中世建築研究者や構造合理主義者にはコンクリートを歴史のない素材として見えていた。

 

 

 第三章は以上のようにコンクリートの歴史性の是非を問う章で、【コンクリートの歴史性】【非歴史的な素材】といった節がある。そして最後に【過去と現在を混ぜ合わせる ー戦後イタリア】があり、この節とそこで紹介されているジョヴァンニ・ミケルッチ(1891-1990)が設計したサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会(1960-64)に注目したい。

 

 が、その前にイタリア合理主義を簡単におさらいしたい。イタリア合理主義とはファシズムという政治体制や文化、芸術と深い関係がある建築運動で、ファシズム建築としてカテゴリ化されやすいが、主な特徴としてモダニズム建築と古典主義建築、二つの主義を折衷した形状が特徴的である。代表的な建築としてジュゼッペ・テラーニ(1904-1943)のカサ・デル・ファッショ(1932-6)、マルチェロ・ピアチェティーニ(1881-1960)のイタリア文明館(1938-43)などが挙げられる。またファシズムとコンクリートにおける関係は特筆すべき点がある。そのテキストは第八章に詳しく書かれているが、そのテキストを短めに抜き出したい。『ファシズム期のイタリアでは熱狂的かつ創造的にコンクリートを使用した。(…)コンクリートが国家の技術的進歩主義を示す材料であった』9)。またテラーニのカサ・デル・ファッショでは『コンクリートの躯体がすべて他の材料で覆われているが、中心の重要部分だけはそれ自体が宗教的な遺構であるかのように躯体が露わになっている』10)

 

 本書では明言していないものの戦前から戦中にかけてのイタリアはファシズムを表すメディアとしてコンクリートを用いていたことが容易に想像できる。

 

 上記の戦前-戦中のイタリアにおけるファシズムとコンクリートの関係性を踏まえたうえで、戦後に建設された太陽道路の教会の話に戻りたい。著者は当時のイタリア建築家を『ファシズムから距離を置きつつも、ファシズムのもとで(…)花開いたモダニズムを否定したくない』11)という両義的なイタリア建築の在り方を模索していたとし、それはミケルッチも同様であった。戦後のミケルッチは有機的建築への片鱗を感じさせるデザインや多様な素材を用い、複合建築を採用することに注力した建築家である、そしてペレのような合理主義的建築を否定するようになった。その特徴をサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会から見ていきたい。

 

 下記のリンクにある教会の内部空間から見て分かるように『柱、支柱、筋交いがすべて、まったく混沌とした形で寄せ集められて』12)いる。そしてコンクリートの天蓋は不十分に見える支柱によってテント型を維持している。このデザインはミケルッチの特徴である、建築における工学原理主義への警告(否定)と見て取れる。またこの教会に対して当時の批評家たちは『(…)ドイツ表現主義、[ヘルマン・]フィンシュテルリンやシュタイナーのゲーテアムス、そして[ハンス・]シャウロンのベルリン・フィルハーモニー[コンサートホール]』13)から類似点を見いだした。この教会建築は「過去」のコンクリート建築の様式や伝統を引用と統合をしながら、「現在」の工学を無意識にデザインに還元する態度に疑問を投げたものといえるだろう。

 

 各国にはそれぞれ独自にコンクリートの歴史があるが、それが結びつかれて建築になることはなかった。戦後イタリアの建築家はその非歴史的なコンクリート(の文化)を建築として統合させ、当時におけるファシズム建築の向き合い方を提示することができた、「コンクリートを理解した者たち」といえるのではないだろうか。

de.wikipedia.org カサ・デル・ファッショ(1932-6)

en.wikipedia.org イタリア文明館(1938-43)

www.bmiaa.com  サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会(太陽道路の教会)(1960-64)


 

この続きの章は来週末をめどに出します…。

 

 

1) 著:Adrian Forty, CONCREAT AND CULTURE, Reaktion, London, UK, 2012,(エイドリアン・フォーティー 訳:坂牛卓+邉見浩久+呉鴻逸+天内大樹, メディアとしてのコンクリート, 鹿島出版, 2016, pi) (以下「メディアとしてのコンクリート」を引用する際は(本書)と要約する)

2) 本書, p13 3) 本書, p23  4) 本書, p28

5) 本書, p27 6) 本書, p36  7) 本書, p109

8) 本書, p105 9)本書, p268  10) 本書, p268

11) 本書, p114 12) 本書, p121  13) 本書, p121