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建築学生から何故か布全般を扱うデザイナーになりました

20190807の感性学まとめ

今日をもって私の夏休みが開始されるわけだが、特に予定もなければ、建築学生あるあるの設計事務所インターンもするわけではない。怠慢といえばそれまでだが、院生の夏休みの使い方が分からずに迎えることになってしまった。

以前は夏休みこそコンペをガツガツやるぞ!みたいなハングリー精神を持っていたが、今は建築のみならず、多くのことに手を出す「落ち着きのない子供」そのものである。大学院生は少しずづ専門に特化していく存在らしいが、もはやそれには成りえることはない。そんな予感はする。

 

先日京芸の院生講義である感性学に行ってきた。最後の授業であり最終レポートを受け取るための補講。

いつも通り20分遅れていったら受講生は7人程度で、多くの人は一足先に夏休み、県大にはない自由?とういか芸大らしさを感じる。

 

感性学は基本的に芸大生が芸術に関する質問を先生に投げかけ、アンサーをもらうものだったが、いつの間にか芸大生のこころのお悩み相談室になっていた。しかも回答が曖昧だからぼんやりとなってしまう。

(私は今何聞いてんの…)みたいな気持ちはあったが、最後の講義はとても気になる話題だった。

 

 

1人の女学生が「常に怒りっぽく、近隣住民の騒音や落ちてきた鳥の糞、相手の些細な言動まで大小様々なことに怒りやストレスを感じるのですが、どうすればいいですか?」というものだった。

先生によれば、怒りというものは自分と「敵」が存在したうえで起きるもの。その敵への怒りをどのように処理できるかが問題で、怒りという感情は発生自体を抑制しにくいものらしい。

 

ここで重要となってくるのが自罰・他罰・無罰という考え方である。

これは後で調べたことだが、この用語は心理学で使われている。これはP-Fスタディ(絵画欲求不満テスト)で使われ、Rosenzweig,S(ローゼンツヴァイク)が自らのフラストレーション耐性理論に基づいている。

 

 P-Fスタディは、フラストレーションを引き起こす片方の人の発言が描かれた24場面に対して、他方の人がどのように返答するかを吹き出しに書き入れます。被検者には「この人は何と答えるか」と教示します。
 各場面に対してマニュアルで規定された表現の中から、被検者が書き込んだ発言に相当するものを「外見的、表出的意味」に基づいて選び、評定を行います(E'、Eなどに符号化する)。

 評定結果から、「アグレッションの方向(他責的・自責的・無責的)」と「アグレッションの型(障害優位型・自我防衛型・要求固執型)」を組合せた「9分類」のパーソナリティ傾向に被検者を分類します。
 アグレッションとは、どのように反応できるかという「主張性」を意味しています。

アグレッションの方向:
 他責的:他者を責める傾向
 自責的:自分を責める傾向
 無責的:誰も責めず、不可避と考える傾向
アグレッションの型:
障害優位型:障害の指摘に重点を置く「逡巡反応(シュンジュン)」。率直な表明を避け、欲求不満が解消されない。
自我防衛型:基本的で直接的な自我を防衛する「他罰/自罰/無罰反応」。欲求不満の解消のため率直な表明を行う。
要求固執型:問題解決に重点を置く「固執反応」。問題解決や欲求充足のための表明を行う。

P-Fスタディ: 心理学用語集

つまりは怒りの方向が他者か自分か無、このいずれかである。

問題の見え方(どこに怒りを感じているか)によって感情をコントロールするのは難しいが、社会では場面によってアグレッションの方向の使い分けが必要であると認識してる。議論や責任問題の話では、自分が他責的になれば相手を不快にさせ、他者の怒りを生む。しかし自責的過ぎると話が億劫になるどころか、自分へのストレスが強くなる。しましには日本人の多くが罹る「うつ病」になるだろう。

一見無罰がストレスフリーで、いかにして怒りの対象を無罰へもっていきストレスを抱えずに済むかという話に聞こえる。しかし無罰が過ぎると無反省な人として見られ、かえって更なる怒りを買う時がある。

 

答えが出ず、悩ましいところだが、先生は最後に重要なことを言っていた。

自罰や他罰を抱えた人は他人に「怒りが強い愚痴」を言う。

しかしその愚痴はまとまっていない場合が多く、結局何が言いたかったか分からず怒りが解消されないときもある。また厄介な問題として、話がまとまっていないにも関わらず、聞き手が理解しないと、話し手がストレスを感じてしまうことである。

その解決方法として、《他人に話す前に、ストレスが生まれた時の前後の話を自分で声に出す》こと。怒りは状況が整理され、原因が明確になると、自ら解決方法を導きだしやすくなり、聞き手も解決方法を提示しやすくなる。

 

これは深く納得できる話で、「うつ病」を未然に防ぎながら、友人とも話せる「楽しい愚痴」になる一つの手段として有効だと思う。

「常に怒りっぽく、近隣住民の騒音や落ちてきた鳥の糞、相手の些細な言動まで大小様々なことに怒りやストレスを感じるのですが、どうすればいいですか?」という質問には「まず全部ひとりごとでもいいから言葉として吐き出す」なのだろうか?