芋焼酎(建築学生)

以前は卒業制作に至るまでのストーリー?的な感じでしたが、今回二度目の卒業制作ということで、建築に関係のないことを色々やっているうちに自分が何なのかわからなくなってきた苦悩の日記に成り果てました【不定期21時更新】

建築学生、他人に分かる言葉で話せ、だってよ。①

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毎度のことですが、お久しぶりです。3月で大学を卒業して、4月から京都の大学で大学院生になります。それを卒業したら、遂に25歳。こわ。もうみんなブラック企業の話が酒のつまみ。

 

学生の最後というものをすでに高専の時と、大学の時で2回見届けることになったが皆懲役40年が始まるから、あたかも最後かのように旅行で友人との思い出を作っていく姿が2回とも印象的だったかなと。

なんか海外旅行とか友達と遊べるのも学生じゃないとできへんぞ!みたいな意見をよく聞くけど、いまどき自分のジョブ次第で変わりそうだし、ほんまに最後なんかなぁという疑問ともやもやがこのブログの筆を進めるきっかけにもなる。『もやもや』がブログを書く時のガソリン。

 

特に何かに追われていた訳でもないですが、ブログさぼりがちですね。はい。

 

ここ最近で変わったことといえば、設計事務所以外でバイトをしたことで自分の発言を見直すきっかけが見つかったこと。

 

去年の4月から始めたのが、ほぼほぼ個人経営の塾のバイト。小学生から中学生向けに先生:学生=1人︰2人で1時間教えるといった場所でしたね。初めの1ヶ月はほんとに大変。

 

何が大変かというと、生徒に教えたいことや間違っているところを伝えたくても、全く伝わらないし、伝わってるかどうかもわからん。俺も生徒もお互い「🤔」が頭の上に浮かぶ。この自分と生徒の間で互いに伝わらない問題を自分の中で、「伝え方問題」として1年間考えることになる。

 

話が少し脱線すると、塾の生徒がよく言う事として、(数学において)「答えに載っている解説が『全て正しい』よね。だから先生が言う『こっちのやり方の方が早くていいよ』は習ったやりかたじゃないから分からないし、難しそう」

 

この考え方をしてしまう生徒が結構多くて、恐ろしいウイルスに侵されてるなと…。原因を探ってみると根深い問題であることが分かった。

 

問題の原因を整理すると以下のようになる。(特に中学生の数学に言えることに今回は絞る)

 

①学校で教えてもらったことを「手順」のように覚えてやり方だけ理解する。そうすると問題文を読まなくても数字と部分的な言葉で解けてしまう

→「入試問題で二次方程式の文章問題を見た時に、一次方程式か二次方程式のどちらで解けばいいか分からなくなる」

 

②以前習った単元の内容と現在習っている単元を切断して考えてしまうため、理解に時間がかかるor全く解けない

→「二次関数の問題を解く時に、連立方程式などを繋げて考えれないため(2つの座標を求める→二つの式が出てくる→どうすれば解ける?)、思考が止まる」

 

③そもそも問題が何を言っているかわからん

→国語能力及び読解力

 

つまるところ全て3番に帰結する、簡単に言ってしまえばこうだ。

『(文の最後にこの問題を方程式で求めよ、みたいな求め方が隠されてしまうと)何を求められているかすら分からなくなる』

という他人ごとではない病。

 

この問題、子供だけではなく大人でも多くの人に言えるし、教育の話や社会の問題にも繋げれるけど、その話は後にして、今回は私にも問題があったという話。

 

実際自分が7年から8年程度、早い段階て建築や言い回しが複雑な本を読んだり、学んだことで変な癖がついたというのもあるのかもしれない…。

 

この話、塾長にもわざわざメールでぶつけてみるほど自分の中で溜まっていたもやもやなのかも…。

 

次回はそのメールの内容を基本編集なしで投稿して、③くらいで終結予定。自戒の念をこめて金曜までには書く。