nishigaki / nsg

建築学生から何故か布全般を扱うデザイナーになりました

ぼくのけんちくは なに をやるの?①

おーーー久しぶりです。

更新できる精神的な環境下ではなかったので更新を止めていました。すみません…。

 

最近はそろそろ人生の分岐点になりそうな時期が近づいてきていて、面白くなってきている今日このごろ。

 

話を戻しますが私のけんちくはどうなんでしょう?

 

今現在の建築家はどうなんでしょうか?現建築家における存在はあまりにも世間から弱い…。そこには建築家の藤村龍二や嶋田洋平が唱えている、現在のビジネスモデル・システムから引き起こされる利益還元率の低さがある。

 

建築ビジネスの再構築が必要なのは明らかにある。まず第一に竣工後にその後の利益が貰えないこと。例えば竣工後に住みor使用し続けて不備が見つかったら賠償なり、なんなり負債を負うことになるのが建築家である。しかし後に安定した生活を送れる元となる建築家に対して利益がもたらされているでしょうか?

 

住居空間はその後に収益が発生が発生しないため良いとしても、ビジネスを行う建築に対して竣工後に建築家にも利益がもたらされないのはおかしくないでしょうか?

 

アノニマスの話にもなるんですが、建築家に対して作家性を求める需要と求めていない需要の双方がある中で、非作家的建築家は街づくりに対してコミットした建築を作り出します。それがある意味潤栄な利益(成功した場合にありますが)が働き、永続的なビジネスサイクルに組み込まれているはずなのです。

 

それは自分の作家性を抑える欲求に打ち勝ち、質の高いアグレッシブな取り組みで外部の街づくりにも反映させているのにもかかわらず大衆・官僚等の価値観があまりにも低い…。

 

話がよく分からない方向へ行ってしまいましたが、何が言いたいかというと建築家とビジネスモデルとの結びつきのイメージが余りにも外部からの印象が薄い。

 

建築界隈でもデザイン思考や建築プロポーションの主要論から始まる人間に及ぼす作用等の人間操作的建築マンは社会ビジネスモデルをないがしろする傾向があります。

 

外部からも建築やデザインにおける社会との連動制が必要になりつつあると認識してほしいというのがあります。市場派という存在の認知というところでしょうか?(建築デザイン系統のお金儲けの認可(?)、職的シンボルからの脱出、拡張)

 

ちょっと長くなるのでここで終わります…。続きは三日後ぐらいに出します。

 

リスペクトから生まれる次世代のデザイン Clink!=Clip+Link

snize.jugem.cc

今日はこちらのお話です。画像は引っ張ってこれないのですが、このゼムクリップは〈Clink!=Clip+Link〉という織咲誠さんの作品です。

 

この作品から伝わる「物質量やコストによらない利」が明確に表現されています。「物質量やコストによらない利」とは織咲さんがデザインするうえで提唱している一部で、今回の場合実態とする線・針金自体は変化せず、無駄な要素は一切加えられていません。その代わり+αとしてゼムクリップの線としての構成を組み直して〈引っ掛ける+挟む〉を生み出したのです。

 

最近、生き物をモチーフにしたようなゼムクリップなどがあります。それ自体は否定しませんが、ゼムクリップそのもののデザインに対してリスペクトが感じられない点が目立ちます。本来利便性を追求した機能美に複雑に絡まり合ったデザイン性がここまで利用されてきた価値のあるモノであったはずです。その性質を崩されてしまっているのは違うのではないでしょうか?

 

またこのクリップはシチュエーションがはっきり見えるのがポイントです。次世代が活用するコンテンツとして、需要を目的としたデザインを前提とするのではなく、生活に需要を見出させるデザインをすることがこれから求められるデザインではないでしょうか。(商品化されてんのかな…)

世論と建築家はニーズの狭間で戦う。

こんばんは。さて、Introductionのまとめです。f:id:BAquavit:20160502131408j:plainf:id:BAquavit:20160502131411j:plain

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と言われています。そのスマートフォンを…

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イエに置き換えてみたらどうでしょう?

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というように置き換えれるとき、

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このようなカタチでAmazonで販売できる未来が来るでしょう。

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地域特性とは…

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というように個人でデザインできるとき、

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自分のデザインで多くの人が共感し、販売できるかもしれない。

もしかしたら建築家も参入して…

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こうなるかも。

でもそれは建築家側からしたら望まぬ世界。

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せめぎ合い、戦う。

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※多少図が変わっています。概念的な部分は何度も再考していますので変化します。注意してください。

This question,please answer this question!

お久しぶりです。こんにちは。今回は卒業設計の続きをお話しします。

 

さて、タイトルが今回英語ですが意味はお分かりですよね?

どういうことかというと…

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 実際にこのような世界になってしまうと完全個人主義が進み、コミュニティさえ架空空間に求めてSPB内で生活が収束するのではないか(少し過激な思想ではありますが)という、恐れがあります。

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 そのような生活から脱することが出来るのか、建築家(今回は私がその建築家役も務めさせていただきます)がSPB自体の開発及び販売はもう止められないという前提でスケルトンの案を製作します。

つまりこの個人の力が加速し続ける今、建築家はコミュニティという要素を世論に贖って提案しているのか・世論が受け入れるように提案しているのかを浮かび上がらせることもできる。

 

ある意味世論と建築家の対決なのかな…?

 

次回はゼミの先生が言うここまでのIntroductionのまとめです

Amazon新機能:プライムラジオを考える。

今回配信する予定のなかった記事です。

 

Amazonがプライム会員向けに新サービスを開始しました。その名は『プライムラジオ』。サービス詳細はページ下のリンクに書いてあるので、そちらを見ていただければ分かるのですが、Amazonの既存サービス、Prime Musicが配信する100万曲以上の中から、利用者の好みに合わせた楽曲をエンドレスかつ、ランダムに再生するラジオステーション機能とその聞く楽曲を厳選化できる機能もついている。

 

このサービスを聞いたときにまず、Youtubeの『「次の動画の再生」に知らない間に飛ばされて、新しい楽曲、アーティストを発見する』ことを思い出しました。

 

あの『次の動画の再生』自体を検索すると自動再生のON/OFFについての記事、否定的な記事が多いですが、私自身はたいへん好きなシステムです。個人的には音楽の知見拡大や再生回数が伸びてきている動画に移動されることによるアーティストの発掘があり、それ自体が楽しいのです。

 

実際にその機能で《清竜人 さめざめ DAOKO Charisma.com 水曜日のカンパネラ etc…》を知ることができ、今では作業中はエンドレスネットサーフィンですね(笑)

 

そんな話はさておき、今回の一番のカギなるのは、自動でユーザーの趣味に合いやすい楽曲が流れるようになる点でしょうか。一見新しい発見を推奨しているように聞こえますが、ラジオを聴き続けるとユーザーの趣向という型枠が確立されて、かなり限定されたアーティスト・楽曲に絞られていくのではと感じました。

 

ソーシャリティのようでソーシャルじゃない自分好みのラジオ(?)といったところでしょうか?

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(公式画像ではありません。あくまでイメージです(笑))

 

www.amazon.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

18歳で製作した Utopia/Dystopia → 20歳が今思う Dystopia

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この作品は今のトップ画にもなっていますが、当時私が18歳の時に作成したコンペディション(公募による建築設計の競技会のことです)作品[解像度83px]です。上の作品少し見にくいので解像度を上げたプレゼン[解像度133px]を下に貼り付けておきます。

 

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当時18歳の私は東日本大震災時に起きた報道の印象が拭えませんでした。東日本大震災の時、学校の入学者説明会の時で、震災の緊急アラートが会場中鳴り響いたことは鮮明に覚えています。少なからずその東日本大震災の影響を受けたのがこの作品です。

(ちなみに審査員の方がおっしゃていたが、震災関連の作品は前年度に比べて激減したらしいです)

 

内容はプレゼンを見てほしいのですが、伝えたかった内容としては阪神淡路大震災東日本大震災で死因としてあった家具の倒壊による、圧死等の危険性を表現したかったのです。なので文中では「家具の倒壊」を二次災害・三次災害として表現し、我々が引き起す人的災害であることを強調しました。

 

そこでプレゼンには、災害のリスクが建造物には無いように設定し(津波でも沈まない)、我々の家具の高位置化・私利的増加を批判する作品を作りました。(一種のminimalistの肯定)

 

建築の作品としては全くと言って意味がない作品ですけどね(笑)

 

なぜなら、これは何か新しい解決案を提案するわけでも、人間にプラスの要素を与えているわけでもないですからね。ましてや、住居が『沈む』という死に直結する『Dystopia』(ユートピアの反対の世界)を提案するのは建築の理念に反するものです。

 

しかし、もう少し読み込むと住居の規則に従えば、災害から100%身を守れる『Utopia』でもあることが分かります。ある意味二面性を持っていますね。

 

しかし、この作品以来建築の世界では受けないなということが分かり、Dystopiaを表現するのは止めました。

 

今回改めて20歳の自分がプレゼンを見て、 Utopia/Dystopia の中の Dystopia がだいぶ先行して印象を受ける、と思いました。それほど Dystopia の伝える強さが巨大であることに気が付きました。

内容としては  Utopia/Dystopia の二面性があると思っていましたが、実際のところ人間の時間経過による災害意識の低下により、結局『沈む』気がします。つまりどう転んでも『Dystopia』ということです(笑)

 

話は変わりますが作品の性質上、ストーリー形式にする必要はなかったと当時は思いました。しかし、ストーリー形式は見る者を当事者にし、災害や生活に対して再考する機会を与えるための適した手段であることが分かります。

 

この作品で再考した結果、『問題をデザインする』『Dystopia の表現の可能性』に気づくことが出来ました。(一応この話はこの卒業設計にもつながっていきます)

 

何かタメになるプレゼンではないですが、何か感じ取っていただければ幸いです。

卒業設計のおはなし③

学校が始まり長期休暇→新学期になると生活スタイルが変わり、休み中やっていたことも中々できませんね…。いけないいけない。

 

さて今回は②の続きで、さらに卒業設計の案を考察していきます。

 

前回話した、地域別にその地域特徴が反映されるようなスケルト(骨組)を建築家が建て、個人のニーズに応えながら地域属性を反映させた容器が完成する。それにより現代のアパートやマンションの設計プロセスが再考されるのではないか?と考えました。

 

では実際にスケルトンを各地域に設計・施工するとなるとどういった変異が表れるのでしょうか?

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(図1 都市部及び郊外におけるSPBに対応した場合の地域別特徴)

 

このように、都市部・郊外区域それぞれ建設すると以上の変異が表れると考えられます。以上の差異だけでも設計上、反映のされ方に顕著に違いが表れると思います。

 

話は変わりまして、そのスケルトンにはめ込む住居(SPB)の話をします。前回の話で『その後の日本は……』といった『what if ?』を書きました。その理想を実際にするとしたとき、どういう形で販売及びSNSに拡散されていくかを考えた詳細の図です。

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(図2 SPBのAmazon販売形態の理想像)

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(図3 カスタマSPBとSNSの拡散性)

 

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(図4 PSPBの販売形態)

 

少しずつ現実味を帯びてきたでしょか?おそらく近い将来的に実現するであろうことなのだと、私自身考察・調査しながらスマートフォンの普及の実態を見て、身に染みて思います。

 

卒業設計シリーズの次回はこの設計の次段階をお伝えたいしたいと思います。

 

この段階でのご意見もお待ちしております。